昨日、手話の勉強会へ行って参りました。
初めてお会いする方がおられましたので、自己紹介から始まりました。
私の名前の表現は、いくつかあるのですが、以前、ろうの方に表現していただいて、好きなのにしたらよいと言われました。
見た目がしっくりきたので、それを選びました。
その表現をすると、ろうの方は、その手話を教えてくださった方でなくても、何もおしゃらないのですが、健聴者の方から、注意されることがあります。
ろうの方が、それで大丈夫と言ってくださっていても、健聴者から見ると、間違っているようです。
そういうことは、私の名前に限らず、時々あります。
私が初めて手話を学んだのは、本とテレビでした。
どちらも、ろうの方でしたので、これが正しいと思っていました。
方言のように、地域の手話があることも知っていましたが、覚えた手話表現すると、間違っていると言われて、驚きました。
辞典で調べると、私がした表現は載っていませんでしたが、間違っていると指摘された方がした表現も載っていませんでした。
インターネットとテレビでは、私がした表現をろうの方が何人かおられました。
しかし、ろうの方以外で、その表現をされている方は、見たことがありません。
その単語とは『生まれる』なのですが、お腹の前で手のひらを上にした両手のこぶしを開くのです。
お腹から新しく生命が誕生する様子だと、紹介されていました。
人によっては、両手のこぶしを、手のひらを下にした状態で、勢いよく開いていました。
辞書では、お腹の前に開いた両手の平を上にして、指先を向かい合わせにしたまま前に出す表現です。
これが一般的だと思います。
私の表現が間違っていると指摘された方は、お腹の前に両掌を10㎝くらいあけて上下に向かい合わせて、そのまま前へ出しています。
この表現は、ここの地域独自だと思います。
私は何回か引越をしておりますが、他の地域では見たことがありません。
ろうの方と手話が合わないことがあります。
「私はこう表現しているけれども、そういう表現もあるの?」
と尋ねられ、うろ覚えですので、慌てて聞き返しました。
「違いましたか? 間違っています?」
「わからない。そういう表現もあるかも。」
手話を言語としている、ろうの方は、様々な手話があることを知っておりますので、ご自身が使われている手話と違っても、強く言われたことがありません。
人にもよりますが、健聴者は、ご自分が使っている手話が正しいと思われているようで、強く注意してくださいます。
ご自身の手話に、自信を持っておられるのだと思います。
自信があるのは、悪いことではありませんが、その方は、ろうの方の手話を「わかりにくくて、手話がバラバラ」と言っていました。
そんな訳は、ありません。
ろうの方が使う手話と、健聴者が使う手話は別物です。
ろうの方は、健聴者に合わせて、手話表現してくださっております。
自分とは違う表現を認めない方が、どうかと思います。
今年の春に、10年加入していた手話サークルを辞めました。
昨日の勉強会へ行って、私がサークルを休むきっかけになった方とお会いしましたので、こんな内容になってしまいました。
本文の内容に出て来る方とは、別の方です。
手話サークルを辞めたのは、強制された訳ではなく私の意志です。
手話の勉強会、そのものは楽しかったですので、また参加したいです。
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患者の歯 好きに削って 金儲け 国も支援し 被害黙認