私は、聴覚障害者です。
音は、ほとんど聞こえません。
先日、知人のオススメで、愛本みずほさんの漫画、『だいすき!!ゆずの子育て日記』を読みました。
軽度の知的障害を持つ女性が、周りに助けられながら、子育てをする話です。
ドラマになったようですので、ご存知の方もおられると思います。
実際は、こんなにうまくいかないとは思いますが、とても感動しました。
本の中で、障害とは何かを考える場面がいくつかあります。
子どもたちに、わかってもらうように、劇をした場面がありましたので、ご紹介します。
目の見えない人たちが、暮している国がありました。
そこでは、夜も灯りがいらないのですが、その国には、目の見える人も住んでおり、その人たちは、灯りのない夜に不自由を感じていました。
王様に、夜に灯りをつけて欲しいとお願いすると、周りの人たちからも驚かれ、こう言われました。
「夜に灯りがないと不自由だなんて、お前は障害者だな!」
劇は、夜に灯りをつけることになり、めでたしめでたしで終わります。
目が見えない人は、夜に灯りがなくても、不自由しておりません。
目が見える人は、夜に灯りがないと、とても不自由です。
目が見えない人ばかりだと、夜に灯りはいりません。
劇の中で、目が見える人は、障害者と言われています。
目が見える人が少数だから、言われたのではないでしょうか。
同じように、耳が悪い人ばかりの国であれば、私も聴覚障害者ではありません。
聴こえない人が、少数のところにいますので、障害者と言われています。
聴こえる人からしますと、私は電話もできないし、音楽も楽しめないし、話しをするのも大変だと思われています。
それは、聴こえる人からすると、そう思うだけであって、スポーツが得意な人がいれば、勉強が得意な人、そうではない人もいるだけのことです。
もしも、あなた以外の人が、テレパシーを使って会話できるとすれば、できないあなたは障害者です。
逆に、あなたがテレパシーでしか会話できないのに、多数の人がテレパシーを使えない場合も、あなたは障害者と言われる恐れがあります。
障害者って、少数の人のことを指すのではないかと思いました。
誰しも、みんなと同じということはないと思います。
みんなと違うところがあって、当たり前だと思いませんか?
障害は 少数だから ではないか みんな見えなきゃ 盲者はいない
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